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「1日だけの合唱団」は、友人でヴォーカリストの太田美帆ちゃんのプロジェクト。
「音楽経験は不要、楽譜も使いません」という案内と堀切菖蒲園という場所の面白さに伺うことにした。
会場のaire ameno(アイレアメノ)はカフェの奥に併設された広い部屋に一面の窓と木の床、アップライトが置かれた気持ちのいい空間だった。

ピアノの前に座った美帆ちゃんが、にこにこして迎えてくれる。


プログラムとして渡されたしおりには、今日歌うのだろう歌詞というか言葉が書いてある。

過去、いくつかのプロジェクトで歌わせてもらったことがあるけれど、言葉だけでどうやって進めていくのかな、以前、七尾旅人さんと一緒にやったみたいな声で遊ぶ感じ?よく分からなかったが、なんとなく大丈夫な感じがしたのは、以前オンラインのレッスンの時にウォームアップでやった、ただ、声を出してみるという体験が、とても気持ち良かったことを覚えていたからだった。(そしてそれは、わたしが歌を歌うことの、できれば1人ではなくて、誰かと声を出すことのなかで一・二番目に好きな瞬間でもある)。
オンラインの時はひとりで声を出すだけだったけど、複数人で声をあわせるとどうなるかな、と楽しみにしていた。

当日歌ったのは、美帆ちゃんの主宰するcantusのレパートリーでもある古い聖歌「Hodie(オディエ、ラテン語で「今日」という意味)」やオリジナルの曲。
フレーズと音程だけ確認して、ピアノに合わせてみんなで歌う。鳥が鳴き方を覚えるのに似た、口伝えの音楽。


声を出すと、自分のからだがひとつの管である事を実感する。
口から吸った空気が肺とお腹にたまって、息の続く限り声を出す気持ちよさ。
そしてその管がそれぞれの体にはあって、それらをあわせる気持ちよさ。

ただ声を出すのは、瞑想っぽいというか、仏教の声明にも近い感じがして、「うたうこと」の原点に触れる感じがする。
うたは、そもそも「祈り」を遠くに伝えるためにできたと昔聞いたことがある。
人の体を楽器にする「うたう」ということ。


そして、声を合わせることで生まれる、声の複数性(ポリフォニー)みたいなこと。
ヨガにもマントラを唱えるチャントの時間があるというのをヨガに詳しい友人に教えてもらった気がするけど、多分それにも近いのかもしれない。そういえば、美帆ちゃんが当日持ってきたアコーディオンのような形をして雅楽の笙(しょう)ような音がでるインドの箱型の楽器、シュルティボックスも、とても好きな響きだった。

あっという間の時間は過ぎて、歌い終わるとなんとなくすっきりした感じがする。
内側から外側に自分の声を出し、その場で居合わせた人たちと声を合わせて、自分の声を感じながら他の人の声を聞くこと。言葉のような、音のようなものがやわらかく空間に溶けていく。

今、自分の体がここにある事、周りに誰かが一緒にいて一緒に声を合わせていることは、何か圧倒的にいまここすべてを肯定するような、明るい、希望に満ちた時間だと思った。



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